仏教教室シリーズ⑪(忍辱波羅蜜)
- 神崎寺

- 1 分前
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お釈迦様は、多くの教えを人々に伝えました。
その中でも、心に深く刻んでおきたい言葉があります。
「自己こそは自分の主である」
ここでいう「自己」とは、自分の内面、つまり「心」といってもいいかもしれません。あるいは、「内なる仏」と考えることもできるでしょう。
その「自己」を自分自身で統御することができたなら、何ものにも代えがたい「拠り所」を得ることができる。お釈迦様は、そう教えています。
そして、自分の欲望に縛られた苦しい生き方から、自己を統御し自らを解放していく。そのための実践として説かれたのが「八正道」です。
さらに、善きものを引き寄せるという意味では、現代の言葉でいえば「運」のようなものを引き寄せる方法も教えます。
そこには「因果の法則」があります。
善い行いをすれば、善い結果につながる。
だからこそ、「善」を行うことが大切なのです。
その「善」の実践を体系的に示したものの一つが「六波羅蜜」です。
私は、六波羅蜜には、人生をよりよく生きるための「成功法則」ともいえるものであると思っています。

さて、前回までに六波羅蜜のうち、「布施波羅蜜」と「持戒波羅蜜」について学びました。
今回は、三つ目の「忍辱波羅蜜」です。
忍辱とは、忍耐のことです。
忍耐は、幸せに生きるための力
「忍耐」と聞くと、少しつらいイメージがあります。
苦しいことをじっと我慢する。嫌なことに耐える。欲しいものを我慢する。
そう考えると、「忍耐なんて、できればしたくない」と思う人もいるかもしれません。
ところが、忍耐する力は、人生を幸せに生きるための大きな武器になる可能性があります。
アメリカでは、人間の行動についてさまざまな研究が行われています。
私が出家する前、仕事のためカリフォルニアのシリコンバレーにいたのですが、そこにあるスタンフォード大学でも、有名な実験が行われました。
「マシュマロ実験」です。
小さな子どもの前にマシュマロを一つ置きます。
そして、
「今すぐ食べなければ、二十分後にもう一つあげる」
と約束します。
大人が部屋を出ていくと、すぐに食べてしまう子もいます。
一方で、食べたい気持ちを抑えて、二十分間待つことができる子もいました。
その後の追跡調査では、待つことのできた子どもたちは、成長後の成績や社会生活などで、よりよい結果を示したと報告されました。
もちろん、この実験については、その後さまざまな問題点や異なる見方も指摘されています。
ですから、「我慢できる子どもは必ず成功する」と単純に考えることはできません。
それでも、この実験が私たちに示していることには、考えさせられるものがあります。
それは、自分の欲望を少しの間、脇に置いておく力です。
欲しいから、すぐに手に入れる。
腹が立ったから、すぐに言い返す。
嫌だから、すぐにやめる。
そうではなく、
「今は、これをしない」
と自分の心を自分で扱うことができる。
この力は、人生のさまざまな場面で、自分を支えてくれるのではないでしょうか。

我慢するのではなく、執着しない
では、どうすれば忍耐を身につけることができるのでしょうか。
「我慢しよう」と思えば思うほど、つらくなることがあります。
だから、少し心の向きを変えてみる。
「我慢している」と考えない。
「今は、これをしないだけ」と考える。
そして、目の前の一つひとつのことに集中する。
大切なのは、欲しいものを無理やり押さえ込むことではなく、その欲望に心をつかまれないことなのかもしれません。
子どもを見ていると、それがよく分かります。
欲しいものがあると、子どもは心のままに執着します。
「欲しい!」
「今すぐ欲しい!」
そう思うから、泣いたり、駄々をこねたりします。
ところが、それが叶えられないで、泣きわめきながら時間が経つと、いつの間にか忘れて遊び始めています。
さっきまであれほど欲しかったものに、もう執着していない。
諦めることで、心が自由になるのです。
そして、それを何度も繰り返しているうちに、「執着しない」ということが少しずつ身についていきます。
これは、きっと大人も同じなのではないでしょうか。
一度でできなくてもいい。
何度も繰り返していけばいい。
腹が立ったときに、一度だけ言葉を飲み込んでみる。
欲しいものがあっても、少しだけ待ってみる。
嫌なことがあっても、すぐに心を乱されないようにしてみる。
その小さな積み重ねが、やがて自分自身の力になっていきます。
忍辱は、一生の財産
私たちは、英才教育というと、知識や技術を早く身につけることを考えがちです。
しかし、知識や技術だけでは、人生を最後まで支えてくれるとは限りません。
自分の心を自分で扱う力。
欲望に振り回されない力。
苦しいときにも、一歩ずつ進む力。
そうした力は、年齢を重ねるほど大きな財産になっていくのではないでしょうか。
忍辱とは、ただ苦しみに耐えることではありません。
自分の心を自分のものにすること。
欲望や怒りに振り回されず、自分で自分の進む方向を選ぶこと。
そのための修行なのだと思います。
何度も繰り返す。
今日できなかったら、また明日やってみる。
少しずつ、執着を手放していく。
それは決して簡単なことではありません。
でも、その積み重ねが、自分自身を自由にしてくれる。
そして、その自由こそが、幸せにつながっていくのではないでしょうか。
幸せのために。
忍辱を、少しずつ身につけていきたいですね。




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