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仏教教室シリーズ⑤ー四諦と八正道⑴

これは毎月の満月写経で行う10分仏教勉強講座の内容を保存したものです。生で聞きたい人は写経会にご参加ください。お待ちしています。


前回のお話は憶えている人はいますか?

そう”中道”でした。不苦不楽と言われる中道ですが、かなり誤解が多いものです。例えば、「頑張ってはいけないってお釈迦さんは言っているから頑張らない。」とか、楽をしたい人の方便に成り下がっている場合があります。中道はベストパフォーマンスを発揮するためのものであって、堕落しなさいと言っているのではありません。琴の弦の喩えをお話ししましたね。

さて、中道の続きになりますが、先ほどの写経した般若心経の中にも説かれている教えです。般若心経では「無苦集滅道」というくだりですが、〝四諦”と言われる教えです。


苦 ⇒ 四苦八苦の回で勉強しました、この世は全て思い通りにならないという真理です。

集 ⇒ どうして思い通りにならないのか、それは煩悩が禍いしているから

滅 ⇒ でも、その煩悩は滅することができるのです。

道 ⇒ その方法こそが八正道という方法なのです。


つまり、この八正道を身につければ幸せになれるということです。


さて、その八正道ですが八つもありますので、今日は2つだけ学びます。

正しい道と書いて八正道ですが、所謂、正しいといっても、人の数だけ正しいがある、なんて言うくらい正しいは難しいのですが、お釈迦様の言う正しいは中道のことになります。つまり、八つに分けて中道を具体的に説きます。

写経後には観月会
写経後には観月会

一つ目の道は正見、正しく見る、です。

皆さんご存知の一休さんの逸話があります。

一休さんで有名な一休宗純さんですが、世間ではかなりの変わり者として有名でした。当時は破戒とされていた女犯、肉食、妻帯など平気な顔でしていました。そんな一休さんは、ある日、変わった看板を立てました。

「この松を真っすぐ見たものには、お金をあげます。」

とのメッセージ。町の人々は「この曲がりくねった松を、どうやったら真っすぐに見えるのだろう?」と頭を抱えます。

そこへ本願寺の僧侶、蓮如が看板を見て、一休さんのもとへ行きます。

すると、一休さんは「看板の裏に本願寺の蓮如は除く!」と書いてあっただろう!

戻ってみてみると、確かに小さく書いてあります。

町の人たちが蓮如に尋ねます。「どうやったら真っすぐにみえるのですか?」

蓮如は答えます。

「そなたたちは曲がった松をまっすぐに見ようと曲がった見方をしておるのじゃろうが、ワシは曲がった松じゃなぁ、とまっすぐに見た」と笑いましたとさ。

つまり、曲がったものは曲がっていると見るのが真っ直ぐ正しいのです。

でも、世の中では私たちは、いろんな思い込み、偏見、自分の損得、プライド、立場などなどにより、物事は真っすぐにみられていません。

例えば、「男のくせに」とか「女のくせに」は男も女も一種類にして分別してますよね。

あるいは、刑務所から出てきた人が隣に住んでいたら、悪人だと決めつけてませんか?

迷惑な外国人が一人いたら、全ての外国人を嫌いになってはいませんか?

テレビや新聞で報道されていることを真実だと勝手に思い込んでいませんか?

どれもこれも、自分の目で真っすぐに事実を見てはいません。

このように、周囲や自分の偏見に影響されて中道の位置から外れた目で物事を見ているのが私たちです。そこで、この中道の目である正見を身につけて、正しく物事を見る、これが八正道の一つ目です。

写経の後は茶話会です。
写経の後は茶話会です。

そして、二つ目の八正道は”正思惟”正しく考えるです。

人の行いを三業と言いますが、身の行い、口の行い、心の行い、の三つです。

特に、心の行いは重要視されます。

それは口も身体も心の行いが形になっているものだからです。

特に三毒と言われる、貪瞋痴の煩悩は心に生じて多くの不幸や災難を引き起こします。

欲と怒りとねたみやうらみを離れ、偏りのない心の状態で物事を考えることが二つ目の八正道である正思惟です。

一つ目の正見に続いて、欲、怒り、妬み、などなどの感情や偏見による心の動きを囚われのない中道に置くことによって三業を清めていくことが正思惟なのです。


もう時間が過ぎてしましましたので、本日は八正道の正見と正思惟でおしまいにします。

最後に、10分仏教教室
最後に、10分仏教教室







 
 
 

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