仏教教室シリーズ①ー四苦八苦
- 神崎寺

- 2025年9月12日
- 読了時間: 5分

〔満月写経会の仏教講座内容です〕
ご存じ、お釈迦さんはいわゆるお坊ちゃまです。いや、ちょっとやそっとのお坊ちゃんじゃありません。チョーお坊ちゃまです。なんと王様の子供、つまり王子様です。釈迦族の王子様でカピラ城というお城に住んでいました。
思春期を迎えたお釈迦様は普通に反抗期でしょうか?城壁の中だけの暮らしに不満を感じて、お城の外に出たいとわがままをいいます。
東の門から外に出ると老人がヨロヨロと歩いています。初めて見る老人の姿に驚き、「あれは何者だ?」と聞きます。
家来は、「老人です。私たちは年とともに体の機能は衰え、容姿も変わり、気力も弱ります
これを『老い』と呼びます。」と当たり前の説明をします。お釈迦さんは初めて知った老人にビックリしてお城に帰っていきます。
お釈迦さんの思春期のわがままはとどまることを知らず、今度は南の門から外へ出たいといいます
。今度は、体は痩せ衰えた病人が現れ、苦しそうにしています。またまた従者に尋ねます。「あの人は一体、どういう人だ?」従者は答えます。「あれは病人でございます。」
「『病』とは何だ?」従者は説明します。「すべての人間はいずれ病にかかって、あのようになります。」今まで見たこともない現実の厳しさを見て、少年お釈迦さんはガーン。
次に西門から出かけると、今度はお葬式に遭遇しました。
「あれは何者か?」と尋ねると、家来は「あれは死人でございます。すべての人間はいずれ死んで、あのようになります」と答えました。死を知らなかったやお釈迦さんはあまりのショックに深く考え込んでしまいます。
どんな人間も結局、最後は老い、病にかかり、死んでいくのか。だとすると、人間は何のために生まれるのか?
贅沢三昧、楽しいことばかりを追いかける人生に何の意味があるだろうか? 本当の意味で幸せになるにはどうすればいいのか?
そうです、お釈迦様少年は仏教の原点は「幸せになるにはどうしたらいい?」と考えたのです。でも、よく考えたら仏教だけじゃなくて、全ての人の人生の目標っていうのは「幸せになりたい!」ですよね。
現代人だって同じ。なのに、幸せになるために勉強したり、幸せをつくるために懸命に働いたり、幸せを求めて結婚したりするはずなのに、そこには時と共に我欲や怠惰などが自分の中から現れて邪魔します。
お釈迦さんは思い悩み、最後に北門から出かけます。すると、出家した修行者に出会いました。大変質素な身なりでしたが、凛とした穏やかな表情をされている姿を見て、お釈迦さんはハッと気づくのです。
「人は年を取り、病に苦しみ、死んでいくことが決まっていても、あの修行者のように落ち着いて真っすぐに生きていくことができるのだ。ようするに心だ!心次第なのだー!」
と感動して、というよりも自分の人生について激しく思い込み、お釈迦さんは出家の道を求めるようになるのです。
つまり、贅沢三昧している王子様の暮らしよりも、修行者の姿が「幸せ」そうに見えてしまったわけですね。現代人にも通じる、「幸せって何だろうか?」の答えを見つけたわけですね。
この生・老・病・死を4大苦といってお釈迦さんは出家する前に気づいた真理ですが、よーく考えると、なんと!従者や家来に教えてもらっているではありませんか!誰でも知っていることをお釈迦さんは知らなかっただけなのですが、当たり前のことも、どのようにとらえるかによって、自身の学びが違います。悟りというのは、きっと物事の見る角度が違うことにより、見るもの、感じるものを違うものとして学べることなのでしょう。
この4大苦に加えて、愛別離苦というのは愛する人と必ず別れなくてはならないという真理、怨憎会苦というのは憎っくき怨めしい人でも会わなくてはならないという真理、求不得苦というのは欲しくて欲しくて仕方ないものでも手に入らないものがあるという真理です。
そして最後の五蘊盛苦ですが、上記の7つの苦という「思い通りにならないもの。」は私たちに五蘊があるからなのだと総括します。
五蘊とは以下の5つです。
「色蘊しきうん」:感覚器官などの肉体
「受蘊じゅうん」:苦楽を感受する働き
「想蘊そううん」:イメージする働き
「行蘊ぎょううん」:煩悩や意図する働き
「識蘊しきうん」:心の根本
私たちの生まれ持ったものが五蘊ということになりますから、人は生まれるのも自分の自由になりませんが、生まれてきたら肉体や意識・感覚器官をもち、欲を持ち、四苦八苦の中に生きることが避けられないということですね。
だから、こうしましょうというのが仏教の教えになっていくわけです。この世は苦の世界なのですということを説明する真理が四苦八苦です。
仏教の始まりの土台や動機付けのような真理です。
どれもこれも、よく考えてみると、誰でも知ってるようなことですが、その誰でも知っていることを、切り口を変えて説明したり、解決方法を示すのが仏教です。
お大師様の言葉を借りると、
『医王(いおう)の目には、途(みち)に触れて皆薬なり。解宝(げほう)の人は、鉱石を宝と見る』
(名医は道を歩くだけでも、目に入る路傍の草や花の中から薬草を見つけ、宝石を見抜く目を持った人は、普通の石ころの中から宝を見つけ出す)
目の前の当たり前のものに価値がないのではなくて、価値のわかる人がみるから価値があるものとわかるということですね。私たちも価値のわかる人でありたいですね。

浅草で行っている写経会は誰でも参加可能です。毎月、満月の夜に19:00から行っています。瞑想、作法、写経、茶話会、仏教基礎講義、観月会という内容です。お気軽にご参加ください。お問合せは電話または公式LINEより





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