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醍醐寺開創1150年慶讃大法要

執筆者の写真: 神崎寺神崎寺

令和6年は、真言宗醍醐派の祖山である京都醍醐寺「醍醐寺開創1150年」の記念の年です。50年に一度の記念法要が令和6年11月14日~18日にかけて5日間の大法要が厳修されました。真言宗は主要な16派18本山により法流が継承されています。その中でも醍醐寺は法流本山とて真言密教、修験道、竪義などを継承し、修行と祈祷を旨としております。

神崎寺は祈祷寺として、醍醐派っぽい醍醐派のお寺なんです。

さて、「醍醐寺開創1150年」の記念法要ですが、神崎寺としては、この期間は既に八千枚護摩修行の前行期間に入っており、和尚様も信徒も八千枚護摩の修行や準備に入っています。しかしながら、50年に一度の大法要、さらに和尚様がご出仕されるとのこと、有志を募り、少々無理をして日帰り京都弾丸参拝ツアーしてきました。

和尚様は、八千枚護摩の前行座数が足りなくなってしまいますので11月に入り、前倒しで前行を行っていました。そして11/14から16日まで醍醐寺に入り、4つの法要にご出仕されました。

上醍醐五大堂前の柴燈護摩

上醍醐では、20数年ぶりに柴燈護摩が修法され、今のところ、上る人も少なくなり少々寂しい感じになってしまった上醍醐を再び修験聖地として復興することが宣言されました。和尚様を始め醍醐の修験者たちは本当に嬉しい出来事だったそうです。

上醍醐五大堂前にて喜びの一枚

そして、翌日は醍醐寺の本堂である金堂において、修験道の法要である恵印法要が執行されました。和尚様は法螺の作法を御担当されたそうです。

恵印法要の集会
恵印法要成満しての笑顔

そして、祖師堂における理趣三昧法要(和尚様、ほぼ写真を撮ったり、もらったりしないので、写真ありません)

そして、いよいよ中日の大法要です。

ここに合わせて、我々弾丸ツアー有志は参拝します。大法要は8:30から始まって、5時間くらい続きます。我々有志は、東京を一番早く出発しましたが到着は10時過ぎとなり法要は既に佳境に入っていました

法要中の散華作法(和尚様のお仲間がこの散華をくれました)
雅楽と舞楽が催されていて格式高い法要となっていました。
御堂のなかは、こんな感じです。

和尚様は法螺貝の担当でしたので、法要中は外で参拝客がお焼香する案内の係をしていました。そのため、割と余裕な感じでお話することができました。

法要が終わると、和尚様たち法螺貝を先頭にしずしずと御坊様たち一団が長ーい列で立ち去って行きました。我々は霊宝館に移動して昼食のお接待をいただきました。国宝の仏像に囲まれての食事は、なんとも経験にない食事でしたが、御縁の深い鹿児島法恩寺の参拝団の一緒でしたので楽しく食事できました。

秋が深まる醍醐寺は素敵な雰囲気でした

と、食事を終わるころに和尚様が鹿児島の和尚様と一緒に霊宝館に来てくれました。たくさんの御坊様たちにご挨拶させていただき、霊宝館を後にしました。

本当は片付けとかあるのでしょうが、うちの和尚様が三宝院(醍醐寺の中心塔頭寺院)を案内してくれました。修行僧の時に寺院の案内も経験するのだそうで、昔取った杵柄的な感じでやってくれました。


醍醐寺は豊臣秀吉によって復興された経緯があり、三宝院は庭の国宝と言われるのですが、秀吉が造営に直接かかわったとのことで、その御庭をしばらく見ながら説明をしてくれました。その場所の職員さんも和尚様とは顔なじみの様で、とても親切にしてくださり嬉しかったです。

庭に面した表書院の縁側に座って景観を堪能
ゆっくりと説明を聞くと庭に思いを込めたものが感じられます

そして、観光客は入れないエリアへ。秀吉が女性たちと花見をした建物や三宝院の本堂の弥勒菩薩、天皇家が使用した奥座敷などをゆっくりと拝観できました。これだけでも満足するような充実した拝観ができました。

襖絵もその時代の思いが表されています

そんなことをしているうちに、弾丸ツアーとしては帰る時間になってしまい、少しだけ時間があったのでバスを待ちながらコーヒーを飲んで、和尚様に見送られて帰路につきました。

大玄関前で記念写真

正直なところ、あまりにも時間が少ないし、醍醐寺に納める奉納金もなかなかですし、時期も神崎寺としては厳しいし、今回のお詣りはどうかな?と心配していましたが、皆が口をそりえて「今度は、もっとたくさんの人数できたいね!」と話しました。嬉しい言葉です。なんせ鹿児島法恩寺の参拝団は80人という人数でした。これからは醍醐寺にも毎年お詣りして、醍醐の仏様や神様とも深い御縁をいただけるようにしたい、いや、必ずそうしようと誓って醍醐寺を後にしました。

帰ったら、すぐに八千枚護摩修行の準備に取り掛からなくてはならないのですが、無理してでもお詣りしてよかった。いつも思います。お詣りする御縁があったならば、多少の無理は繰り合わせてお詣りすることが良い結果を生みます。同じ御縁、同じ時間は2度とないのだから。






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