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醍醐寺の五大力さん

和尚様は僧侶になって以来、ずっと毎年、2月の中旬は醍醐寺で過ごしています。というのも、醍醐寺では2月23日に”仁王会”、通称、”五大力さん”という醍醐寺で一番大きな行事が行われます。この時にだされる”御影”と言われる魔除け札を一週間、21座の前行で拝むという修行が醍醐派の僧侶が参集して行われる。この前行に出ているのである。今年は、毎日、当番になる人だけが上醍醐に上って修行できることになっており、和尚様は18日に当番となっていて、それは楽しみなのだそうです。でも、上醍醐は強烈な寒さなのだそうです。そして、今年は2月23日が連休となっているので神崎寺としては団参を計画して、23日と24日を京都でお詣りすることとしました。

和尚様は23日は五大力さんのお祭に出仕されています。朝の法要では法要の職衆を先導して法螺貝を吹いてました。

そして、少しお話できましたが、その後、金堂前の舞台に上がり餅あげ力奉納の係を担当されています。


お昼ご飯は、混雑が予想されていましたが、食事には執念のある私たちは、しっかりと醍醐の料理である、醐山料理の鳥羽甚さんを予約しておきました。本当は、鉄鉢料理で重なっているものですが、丁寧に一枚づつ、懐石料理として出してくれました。上品で美味しい精進料理でした。




夜は、大津の駅前の居酒屋さんで和尚様と合流して、おつかれちゃん会をして深ーい眠りに。

翌朝は、少し雪のちらつく模様から始まりました。


三井寺につく頃にはすごい雪になってきました。

金堂の作りとか、凄ーいのですが、あまりに雪がひどくて、靴を脱ぐのも、階段も雪で、とにかくお詣りが厳しい。ですが、御堂の中でお経をあげて何とかお詣りしました。


そして、名物、弁慶の引きずり鐘を見たりして、雪の中でしたが何とか境内もお詣りできました。


雪から逃げるように、石山寺に移動。雪は少し小降りになってくれて、石山寺はなんとなく快適にお詣りできました。この石山寺は平安時代に奈良仏教から変遷して真言密教の聖地となっています。醍醐寺開山の聖宝理源大師、醍醐寺初代座主の観賢僧正、二代座主の淳祐僧正がそれぞれ石山寺の座主となり、醍醐寺とは山が連なる地理的条件からも緊密な関係のお寺でした。雪は聖宝さんたちが止めてくれたのでしょう。嬉しい限りです。

素敵な階段!皆で登ります。

本堂へ上るころには、雪はほとんどやんでました。聖宝さん、還賢さん、淳祐さん、ありがとう。

この石山寺は、淳祐僧正が『薫聖教(においのしょうぎょう)』を書かれたお寺としても有名です。このお経は、淳祐僧正が師の観賢僧正と共に天皇から授かった弘法大師号と御衣を高野山の奥の院に届けに行ったときに、お大師様の廟を開けると、観賢僧正にはお大師様の御姿が見えるのに淳祐僧正には見えませんでした。観玄僧正は弟子である淳祐僧正の手を取り、お大師様の膝に触れさせます。すると、淳祐僧正の手には確かに人肌のぬくもりが感じられ、その手にはいつまでもお香の香りが消えなかったのです。その香りの残る手によって石山寺で書かれたお経のことを『薫聖教(においのしょうぎょう)』と呼び、現在では国宝となっています。

そして、大河ドラマで有名になりましたが、紫式部が源氏物語を発想・起筆したもの、この石山寺に参篭中のこととして有名です。

とにかく、ただならぬ寺なのです。

この立派な多宝塔が密教聖地たる風格を出しています。

門前では、隙を見て、揚げ団子を試してみたら、これは美味し!

その後、瀬田唐橋のたもとにある大津料理のお店でランチをして、この橋を渡って電車で京都に戻り、京都駅で解散となりました。

寒い季節ですが、京都大津そして五大力さんのお詣りにご参加ありがとうございました。中には岡山から合流してくれた仲間とも同じ時間を楽しめたり、毎回のことですが、行って良かったと思いました。毎回、いろいろと大変で、腰が重くなることもあるでしょう。でも、いける時には、少々の無理を押してでもやったほうがいい。和尚様もよく言ってます。「やるか、やらないか、二つあるときは、やるほうを選ぶほうが良い。」今回もやってよかったです。また、皆さんでよいお詣りしましょう。参加しくださいね。


 
 
 

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真言宗醍醐派
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