仏教教室シリーズ⑧縁起
- 神崎寺

- 5月2日
- 読了時間: 3分
これは毎月の満月写経で行う10分仏教勉強講座の内容を保存したものです。生で聞きたい人は写経会にご参加ください。お待ちしています。
今日の学びは「縁起」です。
縁起には、「良い」「悪い」があると思いますか。

日本語としては、確かにそのような使い方があります。しかし、仏教語としての「縁起」には、良いも悪いもありません。それは、これからお話しする内容をお聞きいただければ分かると思います。
「因縁生起」という言葉も同じ意味を表しますが、その中の「縁」と「起」を合わせて、仏教の根本真理として「縁起」といいます。
では、それは何かというと、
因 → 直接的な要因(例:種)
縁 → 間接的な要因(例:土、水、太陽)
果 → そこに現れる結果(例:実る果実)
このように表すことができます。
例えば、私自身のことを例に挙げると、36歳のときに「良いお坊さんになりたい」と決意しました。これを「発心」といいますが、これが「因」という種だとします。しかし、それだけではお坊さんにはなれません。
醍醐寺伝法学院という土に種をまき、恩師たちから太陽の光のような教えを受け、土の滋養のような醍醐寺に伝わる法脈を授かり、日々辛抱という修行を重ねることで、小さな芽が自然の厳しい環境の中で育つように成長し、やがて果実となり、人に「何かを与えられる」僧侶になっていくのでしょう。

「お坊さんになりたい」と思わなければお坊さんになりませんし、伝法学院に入れなければ真言宗醍醐派の僧侶にはなれませんし、もし、高野山に修行にいっていれば高野山真言宗の僧侶になって
いましたし、良き恩師たちとの縁がなければ違う僧侶になっていただろうし、多くの友人や恩人との縁によって今の環境が与えられていますし、無数の因や縁によって現在、自分が手にしている環境や自分自身を形作っています。
因だけあっても何かになりません、そこに縁があってこその果なのです。必ず、万物のものにも事にも、因があり果があります。そして、それをつなぐ縁があるです。縁によって果は変化していくし、善きものにも、悪きものにもなっていきます。
すべてのものは、一つひとつが因・縁・果によって成り立っています。これが仏教における真理です。さらに言えば、「仏教における」というよりも、これは普遍的な真理であり、宇宙の法則のようなものだといえます。

少し話がそれますが、仏教は科学と矛盾しない宗教だといわれています。それは、真理に基づいているからです。人が考え出したものではなく、「もともと存在しているもの」に基づいています。それこそが真理なのです。
私たちはこの世を生きる中で、時に悪い間接要因に出会うことがあります。その結果、自分にとって望ましくない結果を招くこともあるでしょう。そうした状態を「縁起が悪い」と表現するのかもしれません。

これは私の考えですが、この世は縁が試される世なのだと思っています。
多くの方のご相談をお聞きし、人生に寄り添って見ていると、「なぜこんなにも物事がうまくいかない人がいるのだろう」と感じることがあります。さらに言えば、生まれながらにして苦労を背負っている人も少なくありません。
因果の法則から考えると、それは生死の境を超え、輪廻の中で「徳」や「悪業」をどのように積み重ねてきたかに関係していると考えられます。
つまり、前世からの徳が現世の幸せの要因になっているともいえるでしょう。
この世とは、縁が試される場なのです。欲に流され、他者に利益をもたらすことなく搾取を続ければ、因果の法則によって未来に悪い結果を招くことになります。
だからこそ、「いつか」ではなく、「今」から善を積む生き方をすることが大切です。
そして、その具体的な在り方を教えてくれるのが仏教なのです。






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